ウズマスターの日々
http://bloggerspice.appspot.com/postimage/https://blog.uzumax.org/2018/06/blog-post_38.html
ウズマスターの日々
https://blog.uzumax.org/search?updated-max=2024-02-15T14:50:00-08:00&max-results=7&reverse-paginate=true
最近、原作の改変が話題になっているけど、それにしても酷い醜聞おね。(´・ω・`)
まず「原作の改変はアリかナシか?」だけど、それとは別の事情ってもんがあるんやろね。
漫画とかの業界には、1つのヒット作の背景に99の駄作があるじゃん? でも99の駄作に関わった人間にも報酬は支払わねばならない。大赤字だ。だからヒット作が出たら、そこで大儲けして一気にそれまでの赤字を回収しなければならない、という切実な事情がある。
だから、そりゃあ理想を言えば、脚本は原作に忠実で、アニメ化するなら作画も綺麗で、ドラマ化するなら才能ある役者に出演して貰い、放送枠も十分に確保し……。とやりたいのだろうが、それをやると商機を逃してしまう。
ドラマ化ってのは「売るなら今しかない!!」という決定的なビジネス判断があって決行されるものだからね。その中に原作置き去りという事態が発生する。
だってよ~、確かに原作者の芦原妃名子先生は「原作に忠実であること」をドラマ化の条件に出した。しかし、結果として集まったスタッフやらなんやらにそれを果たす実力が無かったんやろね。今回問題になっているのは脚本家だけど、要は盤石の信頼のある理想の脚本家を雇うことが出来ず、人材不足やらなんやらの都合で仕方なしにこの人に依頼することになっちゃったんやって。
そしていざ、トラブルが露見した時に「原作に忠実であることが最優先であるから、脚本家を解任する。その結果としてTV放送に穴が空いても、会社が赤字になって関係者の賞与が払えない事態になっても仕方がない」とまで言えるかと言うと、それは厳しくない?(´・ω・`)
上述のとおり、1つのヒット作の背景には99の駄作があるから、ヒット作を出した大先生からお零れを貰わないと周りの人間が生きていけない。
今まで散々に犠牲を支払ってきて、ようやく訪れた商売チャンスの時に、大先生の芸術的感性を優先して商機を逃す、というのは、飲めないだろう。
「約束を破ってでもやらせて貰うしかない。そうでなければスタッフ全員が飢え死にする!!」
こういう事態は起きるんだよね。(´・ω・`)
そこで必要になってくるのがマネージメントで、品質最優先思考の原作者と、商売優先思考の脚本家の間で軋轢が生じた場合、本来はそこを仲介する役割の人がいるはずなのだが。
例えば、アニメだと「封神演義」ってあるじゃん? 二度もアニメ化に失敗した悲劇の作品。(;´・ω・`)
当然、原作者の藤崎竜先生を始めとして一同激怒しているに決まっているのだが、特に醜聞が聞こえてこないのは、プロジェクトの外に醜聞が漏れ出さないようにケアが行われているからなのよ。
「どうしてこうなった!!」と激怒する先生とか、集英社とか、あっちで謝り、こっちで謝り、事情を説明し、何とか飲み込んで貰い……。
そういう風にして丸く収めているに決まってるんだって。
でも、セクシー田中さんの場合はそれが無かったんだろうな。醜聞がSNSに流出してたんでしょ? それは異常事態だよ。原作者とドラマスタッフの間で人間関係の軋轢が生じた場合、その調停という役割を担うのはどこの誰だか知らんが、それが全く機能しなかったんだろうな。
醜聞が外部に流出し、ネットが炎上しても、対策や関係者のケアが行われることは一切無く、ずっと放置しておいたらそのうちに自殺者が出た。
とんでもない能無しPMもいたもんやな。切腹せいや。(´・ω・`)