どうも理解出来ないのは、「自分の話を相手が理解していない」というのは恥辱であり、屈辱であり、怒りが湧いて来ないのかな? ってところ。(´・ω・`)
だって、犬や猫に聖書を読み聞かせたりしないでしょ?
ボケ老人に向かって学問を論じたりしないでしょ?
そんなことしてたら馬鹿みたいだもん。
自分が熱心に話して説明しているのに、相手がサッパリ理解していなかったら、それは犬や猫やボケ老人を相手に話しているのと同じ。
話し手の方が馬鹿。話し手の敗北。
- 無意味な事を真面目にやる人間は馬鹿
- 無能な働き者は銃殺するしかない
これが僕の考え方の基本だ。
だから僕は会話する時は相手のレベルに合わせて言葉を選ぶし、言葉を選んでも難しい場合はそもそも相手に理解を求めない、というスタイルである。
これを僕と若い衆の関係に置き換えてみよう。
( 。Д゚)「今週の週報。ほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃ(長い)」
(´・ω・`)「君の文章は読み取れない。文章の可読性を高める所から始めていこう」
こんなの激怒案件だと思うんだがね。(´・ω・`)
手間と面倒を費やして送付した報告書の返事が「君の文章は読み取れない」って、それは時間をドブに捨てているのと同じ。
( 。Д゚)「俺の話の何が理解出来んと言うのだ!!」
(#´^ω^`)「こことこことこことここ!! お前こそ国語力どうなってんだ!!」
と喧嘩が始まるが自然な人間の姿だと思うのだが。
この若い衆は違う。
毎週毎週、熱心に報告メールを送ってくる。そして僕の返事はいつも「君の文章は読み取れない」。つまり読んでいないも同然。
相手が読んでいないと分かっているのにメールを送る。それは犬や猫にメールを送るのと同じ。
恥辱や屈辱、怒りを感じないのだろうか?
でも延々と同じことを毎週繰り返す。
何なんだろ???(´・ω・`)