では、「日本の、これから(無縁社会)」で取り上げられた、無縁そのものについての感想だ。
途中で強く感じたのが、これは無縁社会問題というより貧困問題の話だろってところだった。
そりゃ独身+無職+家族無しのコンボでは無縁になるだろうけど、
そんな文句無しの完璧な無縁じゃなくって、
もっとありふれた無縁の話でも良かったんじゃないかな。
正社員としてちゃんと働いたとしても、行き着く先に無縁が待っているってのが一般的無縁社会。
無職無縁ってのは無縁以前の貧困問題だよ。
それで、この手の問題でいつもイマイチ噛み合わないと思うのが、
「社会の責任」と「個人の責任」ということだろうな。
どこからどこまでが個人の責任で、どこからが社会の責任かって言われても、
その辺りに明白な境界線は無いし、常に流動的なものでもある。
なおかつ、この話になると感情的になりやすいのだ。
ただ、昔と比較して、「個人の責任」というものが強く言われるようになったってのは確かだと思う。
妥当かどうかは別としてな。
僕が思うのは、「個人の責任」を重視するから無縁化するんだってところよ。
極端な話、仕事も無いのに子供を産みまくって生活保護を貰ってるような人って、
無責任極まりないけど、家族もいて子供も居て、生活するだけの金もあって、無縁とは程遠いだろ?
逆に、年収300万未満だけど必死に自分の力で頑張っている人ってのは、
正に自分の力で食べていくという「自分の責任」を果たすことに全精力を傾けているから、
結婚だの子供だの、そういう「他の人の責任」まで手が回らなくなる。
その結果、いよいよ年老いて自分の力で食っていくことも出来なくなった時、
貧困級の完全無縁が発生するんだ。
年収300万よりももっと多かったとしても、
サラリーマンなら「自分が首を切られないようにしなければいけない」という認識があるもの。
そのために平日は残業して、土日に勉強したりしてれば、それは立派なことだけど、
それじゃあ結婚とか家族とかは無理だわな。
仕事面で危機意識を持っている人ほど無縁化するわけだよ。
まあ、逆に、サボッて遊んでてクビになったら、それはそれで無職無縁化なんだが……。
結局、縁の根底にあるのは「血縁」なんだ。
無縁社会解決には「家族を養える水準での経済的安定」が必要不可欠なんだ。
社縁とか地縁とか、そういうのはオマケだ。血縁が圧倒的最重要項目だ。
それが、どうも番組は「社縁」に偏りすぎていた気がする。
番組中ではトランポリンで再就職支援の話をやっていたけど、
それで再就職したって家族を持てる程の経済力は無いだろ。
それは貧困解決策であって、無縁社会解決策ではない。
日本ってのは、家族を持つことが随分と高負担になってしまったようだな。
どんな貧困国でも家族はいるものだ。
それは、家族を持つための負担が、貧困国では家と食べ物さえ用意できれば大丈夫という程度の低負担だからだが、日本だとそれだけじゃちょっとって感じだ。
日本は「長期休暇には家族で旅行に行って当然」くらいの高コストな価値観があるからな。
他にも、塾とか、大学進学とか、あれこれ。
僕の意見としては、経済発展を考えるより先に、
バブル期の延長にある現在の行き過ぎた価値観を是正した方がいいんじゃないかと思う。
年収300万でも家族が持てないってことは無い。
ただ、現在の日本だと、世帯収入が300万では世間的に恥ずかしいのよ。
それが問題だ。
責任とか努力じゃなくて、価値観の見直し。
僕の意見はこんなところだな。
4 件のコメント:
金と縁とは良く言ったものです。
少なくとも日本においてはそれが顕著だと思う。
金と時間があって縁は生まれる。
しかもそれらの必要量は縁の重さに比例しているのではないでしょうか。
ネットでの縁は低コストだが血縁は高コストだしね。
要は真面目に働く日本人は金と時間というコストを払えなくなっているんでしょう。
時間と金を多く確保できるようにするのは難しそうだし
コストの方を下げるしか無い。
やっぱり価値観を見直すしかないということなのかなぁ。。
(´・ω・) 婚活とかの記事見てると、女性が男性に求めているもの大きすぎですしね…。生きるコスト、育てるコストがかかりすぎる社会ってのはあると思いますね。
まぁでも女性側の価値観が変わらない限り一部の中流以上しか結婚できない流れは変わらないでしょうね。まーそれも国民や国家の選択なので私は非難するつもりはないですけど。非婚化で縮小していくのもそれもまた選択でしょうし。
「大事な縁ほど高コスト」
いいキャッチフレーズだぜ。
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