松本零士死去。SFノスタルジーの大家がこの世を去ったか。(´・ω・`)
松本零士という漫画家は、宇宙戦艦ヤマトが1974年、銀河鉄道999は1977年……って、僕が生まれる前やがや。(;´^ω^`)
詳しく知るはずも無い。
しかし、例えば司馬遷が書いた史記を2000と数百年後の現在における現代に読み返しても当時の思いを馳せるように、先制の作品は40年遅れて読んでも色褪せない輝きを持った名作であった。
ちなみに僕の見解としては、松本零士は銀河鉄道999が最高傑作、宇宙戦艦ヤマトは深く関わった立場ではあってもその作家性の深淵を表したものではないと考えている。
作劇を観てみると、宇宙戦艦ヤマトは大衆的が支持を得る事を狙った痛快作劇が強く感じられる。世界観がシンプル過ぎる。
対して銀河鉄道999はストーリー全体が寂しく、文学的である。これは作家本人が人生を振り返らなければ描けるものではない。
故に、印象的に宇宙戦艦ヤマトは商業的な成功作。銀河鉄道999の方に松本零士の心の故郷あったのではないか、と思いを馳せてならない。
そんな銀河鉄道999だが、僕の分析として、銀河鉄道999には二本の支柱がある。それは「男の美学」と「理想の女性」だ。
その二つを合わせて「青春」と言う。これが松本零士であった。
思うに、松本零士という作家は、85歳で死ぬまで終生少年であったんじゃないかな。(´・ω・`)
「男として生まれたからにはこうありたい」
「理想の女性はこんな感じ」
小学生男子が思い描くような理想像を持ったまま大人になり、それを漫画という芸術に表現する。
そういう漫画家であったという気がしてならない。
その結実が「メーテル」で、あれは感性が少年のままでなければ不可能だっだろう。あれは小学生から見た大人の女性像だ。
また、「苦難を乗り越えてこそ男だ」というメッセージ性も強く作品から読み取れる。
従って、現在40歳になった僕が改めて銀河鉄道999を読み返すと、やはり男は「理想」「青春」、こういった感性を失ってはならない、と感じる作風だよね。
松本零士先生は宇宙に帰ってしまったが、遺した作品の意味は理解しているつもりだ。
僕も今や40歳だけど、今一度、幼かったあの頃に立ち戻って気力を復活させたいな。(´・ω・`)