• 2025年8月21日木曜日
ウズマスターの日々
ウズマスターの日々 https://blog.uzumax.org/2025/08/blog-post_21.html

葬式の旅

 96歳の義理の婆ちゃんが他界したので、九州に行ってきた。(´・ω・`)

子連れ

まず、3歳のジュニアを連れての遠路。行くまでも無く大変であるのは分かっていた。

ジュニアを理由に欠席することも選択肢の一つとしては存在していたが、僕は冠婚葬祭は重視する主義。そのタイミングでジュニアが風邪をひいたら話は別だが、そうでもない限りはどんな無理でも強硬する主義である。

断固としてGO。

飛行機

僕は飛行機に乗り入れていないが、昔の記憶を思い出しつつ、ネットで予約。大人2人子供1人だと、大体、往復で30万円だった。
香典とか、タクシー代とかを含めると、35~40万くらいの出費だったはず。

これ、葬式に参加するのにも経済力が無いと不可能だよね。(;´・ω・`)

僕はまあ何とかなったけど、冠婚葬祭やら礼儀やら作法やら、そういうのは金があってこそ。金が無ければ親の葬式にも参加出来ないのが現実の世だ。

大分空港

朝5時に起床。そこから羽田空港に行き、降り立った先は、大分空港。


田舎の空港なだけあってよく分からんものがいくつかある。

途中でジュニアが騒ぎ出したらどうしようかと懸念していたが、意外にジュニアは大人しかった。しかし朝5時起床のダメージが大きく、どちらかと言うと僕自身が既にヘバり始めている。
ここからバスに乗って大分駅に移動し、大分駅からタクシーに乗って葬式会場だ。

式場

式場に到着。写真はその控室。行くと棺桶に入った婆ちゃんがおった。へい、婆ちゃん、ジュニアを連れてきたったぞ。(´・ω・`)


本来であれば生きているうちに対面させるべきだったのだが、0~2歳の頃はジュニアの幼少故に二の足を踏み、3歳になった今や婆ちゃんが死んでしもうた。
僕としたことが遅きに失したな。

あるいは、そもそも生前葬を企画するべきだったのかもしれん。

死んでからの葬式開催というのはスピード勝負だから、本当にドタバタで。参列する側にも大きな負担を強いるし、季節も選べない。

季節の影響は大きい。真夏の摂氏34℃とかでの葬式は地獄じゃ。(;´・ω・`)

しかし、生前葬であれば。

(´・ω・`)「もうボチボチ死ぬおね」

ってのはある程度分かっていたから、夏になる前に生前葬をやって、親族集合。
それだったら生きたままジュニアの顔を見ることも出来た。

参列する人間にとっても、葬式を主催する人間にとっても、おばあちゃんにとっても、それが一番だったのではないか。
後々の人生の教訓として覚えておこう。

喝!!

しかし、ビックリしたのが、臨済宗だったか?

( ゚Д゚)「南無阿弥陀仏」
(´・ω・`)(……暑い)
( ゚Д゚)「南無阿弥陀仏」
(´・ω・`)(……流石に5時起きは辛かったな)
( ゚Д゚)「南無阿弥陀仏」
(´・ω・`)(……帰ったらすぐに仕事しなきゃいけないし。やっぱりかなり大変……)
( ゚Д゚)「喝!!」
(;´・ω・`)(……おわっ!?)
何やねん!!
葬式の念仏の最中に「喝!!」とか、どういうこっちゃ!?

聞いた話によると、死んだ婆ちゃんが現世でモタモタしないように、一喝してあの世に叩き出したったそうだ。

そんな考え方があるんか。
ぼーっとしてたから驚かされたわ。(;´・ω・`)

一晩泊まって帰宅

その後、婆ちゃんの火葬を済ませ、実家に一晩泊まった後、翌日の夜に帰宅。
この頃になるともう心臓が苦しくなるくらいに疲れ果てちゃってて、風呂に入ったら倒れるように眠ってしまった。

翌日も体調が何かフラフラしていたし、肩や腰も痛いし、と色々大変だった。

終わりに

こうして、実に大騒動な葬式の旅であったが、義務は一通り、滞りなく果たせて良かった。

一方、考えてしまうのが、これからの時代の人間の死だな。

お婆ちゃんは良かったのよ。老衰で、最後の最後こそ寝たきりだったけど、概ね苦しまずに死ぬことが出来た。

死に際も身内が介護してくれて、看取って貰えて死んだ。
上々の死に方と言えよう。

では、これからの時代の人間はどうか? 僕はこのようには死ねないケースが増加すると考えている。

例えば、生涯独身であった、とか。結婚したけど片方に先立たれて独り身になった、とか。

子供はいないか、いても介護などの負担を担える状況ではないか。

身内の助力が得られないなら、介護ヘルパーに頼ることになるが、それには金が必要だ。介護ヘルパーを雇うほどの財力を持つ人間など、どれだけいるか?

結局のところ、体が動く限りは自分で頑張って、最後は八方塞がりで死ぬ。

死んだ後、ちゃんと墓に入れて貰えるのか? 誰が葬式をやってくれるのか?

そういった目途が全く立たない。ホームレスじゃあるまいし家の外で野垂れ死にすることは流石に無いだろうが、家の中で知らんうちに勝手に死ぬなんて話はザラ。

そういう世の中になれば、死生観も変わる。


従来の人間は、自分が死んだ後のことも考えつつ死んでいくものだった。
死んだら長男が葬式をやってくれるはずだ。その後はこの墓に入るはずだ。遺産の分配はこうしておけば遺族も揉めないだろう。自分の持ち物は構わず処分せよ。
少なくとも孫くらいの代までは家は続くはずだ。

自分が死んだ後も円滑に事が進むように準備して死ぬ。これが従来の人間の死だ。


これからの人間は、何も無い。自分の死んだ後のことなど知らん。何もかもほったらかしで死ぬ。準備しようにも遺族も遺産も何も無いから準備の必要も無い。
死んだら虚無、行政が勝手に死体を片付けてくれれば良い、というだけの人間が増えるんじゃないか?



僕はまだ42歳だから死ぬには早いはずだが、最期はどんな死に方をするんじゃろうのう。(´・ω・`)

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