• 2018年10月21日日曜日
ウズマスターの日々
ウズマスターの日々 https://blog.uzumax.org/2018/10/blog-post_28.html

プリンセス駅伝ハイハイ進行 飯田怜選手

今日行われたプリンセス駅伝という、女子選手だけで行う駅伝で歩けなくなった選手が四つん這いで200メートルを進んでゴールするという事案があったそうだな。(;´・ω・`)




(;´・ω・`)



難しい

写真は岩谷産業の飯田怜選手だそうだ。
よく頑張った。

しかし、果たしてこれが美談と言えるだろうか?(;´・ω・`)

凄く微妙、ギリギリの線だと思う。

確かにこの選手の根性は大したもので、それを否定するものではないけど、これが成せるのは通常の精神状態ではない。
巨大なプレッシャーの元で逸脱した精神状態だからこそ実行出来る荒技だろう。

果たして人間がそこまで追い込まれることは正しいものだろうか。

スポーツ選手ってのは戦争やってるようなものだから、スポーツ選手ではない通常の人間の感性が通用しないのは当たり前。
マトモな神経じゃスポーツ選手はやれん。

そして精神が肉体を凌駕した結果、待っているのは故障=死だからな!!


死ぬ気で行かなきゃ成果は出せないけど、本当に死んじまったら元も子も無い。


という、凄く矛盾した条件で戦っている。

いや、これはスポーツ選手だけではなく、みんな同じだ。


頑張らなきゃ成果は出ないけど、頑張り過ぎて鬱になっちまったら元も子も無い。


そういう生と死の分かれ目、見切り、そういうのが人間が生きていく上で重要になる。

つまり、人間が生きていくためには、頑張り所と引き際という生死の分かれ目を自ら見極める能力が最も重要である。
何も考えず頑張るのは、何も頑張らないのと同じくらい愚の骨頂。

それを考えると、果たしてこの女子選手はその見極めを自ら行う能力が備わっていたのか……。

いや、恐らくこの選手は若いと思われ、しかも走っている最中というギリギリの状況でそういった判断が可能であったと考えるのは難しい。

だからこそ、そういう時の為に監督という職が存在しているわけよ。
つまり、僕が疑念を抱いているのは、職務上の上司たる監督がちゃんと選手の生死の見極めを行っていたのか、ということだ。

コンクリートで塗装された道路で200メートル程度の距離をハイハイ進行するのは、監督がその経験から故障等の問題には到らないと判断しての結果だったのだろうか?

僕はそこに非常に強い疑念を抱いている。

テキトーに「あと200メートルくらいなら行くしか無い!!」くらいのノリであったのならグロテスクも良いとこ。
その姿がこうやってテレビ放送されて画像も出回って、引き返せないところまで行っちまってるわけだから。

僕の経験上、上司は僕自身の事を僕以上に真面目に考えていない。
従って最終判断は上司を無視してでも自分で行う主義である。

一方、そういった判断力を有していない若者に目を付けブラック労働を課す輩がいることは周知のとおり。

以上を総括すると、僕が言いたいことをしては、自分の生死の判断を他人に丸投げするなということだ。

この案件を美談として手放しで喜ぶのは極めて下品。
もっと崇高なテーマとしてそれぞれ思い悩むべき話だ。(´・ω・`)

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