• 2011年2月11日金曜日
ウズマスターの日々
ウズマスターの日々 https://blog.uzumax.org/2011/02/blog-post_11.html

働く世代の無縁社会 第一夜

今日からNHKで二夜連続の無縁社会!!
NHKもとんでもねぇことをやるもんだ……。

とりあえず、第一夜「NHKスペシャル 無縁社会」を見た感想を以下に記述する。

やっぱりこういうのは「自分と近い」ほど感心が沸く。
番組中、一番窮地に陥っているのは、最後に登場した自殺者救援センターの皆さんだろうけど、
僕に近いのはニコニコ動画で自分の私生活を実況中継している人たちだ。

過労で仕事を休む、or退職して、ニコニコ動画に全生活を暴露し、
ネットの中だけで繋がりを持っている若者。

かなり僕に近い。
っていうか、「ウズマスターRYUさん(28)」が出なくて良かったよ。
十分に出演可能だったと思う。
僕はブログしかやってないけど、本質は同じだろう。

さて、一応、番組や普段の会話の都合上、無縁社会と一言に言っているけど、
その詳細を少し分析してみようと思う。
ザッと見て、以下のパターンが典型であるように思える。

・高校卒業世代 就職できないことによる孤立化。
・大学卒業世代 番組には出演しなかったが、同上だと思われる。
・若手サラリーマン世代 社内における挫折による孤立。
・中堅サラリーマン世代 派遣切りによる孤立。(要は就職氷河期世代だろ)
・団塊サラリーマン世代 会社倒産による失職。熟年離婚による無縁。
・老人 家族や地域社会、そういったものに関わらず、
    仕事などの経済的効率のみに終始した人生を送ってきた果てにある孤独死。

こう書くと、やはり「仕事」という要素が極めて多いのは明白だろう。

ここで僕の考えだけど、無縁社会の一端に「仕事」に対する姿勢の変化が挙げられると思う。
本来、人間にとって「仕事」とは生活の一部、人生の一部なのだ。
例えば、農家で生まれて農業を継いだりすれば、仕事と私生活の境界線など無い。
っていうか、それこそ「縁」で自動的に仕事が決まっていってしまうのが伝統的な姿だと思う。

このように、仕事というのは人生の一部というより、大半の要素を締めるのが本来の姿である。
しかし、現代日本では、仕事というのは「収入手段」という認識が強まった。
むしろ、仕事と私生活が密接であること=悪、という価値観すらある。
極端な話、宝くじにでも当たっちまえば、もう仕事なんかやらないってことだ。
逆に、仮に専業農家が宝くじに当たった場合、どうだろうか?
僕のイメージだと畑は放棄しないんじゃないかな?
僕だったら畑の一部を改造して品種改良用するとか、そういう方向に動くと思う。

ともかく、現代日本は仕事と私生活が繋がらないから、
仕事に精を出しても金銭以外に何も得られず、その果てに無縁が待っているのだ。

さて、このように「仕事は収入手段でしか無い」という考えは、
近代日本の価値観というより、「サラリーマン」という種族の性質だと思う。
近代日本というのは大半がサラリーマンだから気づけないけど、
実はサラリーマンという雇用形態は特殊なんだ。

夫婦で異なる仕事をするのは、近代サラリーマン特有の現象である。
(ちなみに、専業主婦というのは夫の補助であるから、夫と同じ仕事をしていると見なせる。
最近は補助が無くても仕事が出来る世の中になってしまっているが、それは置いておく。)

サラリーマンにとって、仕事ってのは金を得る手段に過ぎない。
昔は上司の薦めで見合いとかあったって聞くけど、そういうのは経済発展を見込んでいたから成立したんだ。
経済が悪くなると、途端に縁が切れる。現実に、熟年離婚してるからな。
金の切れ目が縁の切れ目とは、正にこのことよ。

さて、実際に社会がこんな調子になっちゃってるわけだが、
「無縁社会を何とかしよう」とかいう方面は政治活動家の方に任せるとして、
僕が考えなければいけないのは、僕個人がどう動くか、だな。

具体的で明白な方針というのは思いつかないけど、
言えるのは、会社が潰れたらおしまい、というような依存した人生は危険ということだ。
少なくとも、人生単位での怠慢をやらかさないよう、注意しなければ。

人生は大変だのう。(´・ω・`)

1 件のコメント:

失格(´・ω・) さんのコメント...

(´・ω・) 今日の放送見ました。将来に不安のない状態になるのって難しいですよね……。いつどうなることやら。