• 2019年8月11日日曜日
ウズマスターの日々
ウズマスターの日々 https://blog.uzumax.org/2019/08/blog-post_57.html

ラグナロクマスターズ:レベル96問題

コツコツとプレイして、ようやくグラストヘイムをクリアする所まで来た。


ハニーと2人でプレイしているから、ハニーをフォローしておくだけで10倍経験値とか亀裂とか素材集めとかは消化してくれているので助かる。
夫婦共同作業だ。(´・ω・`)

ところで最近、レベル96問題というものがあることを知った。



三途の川

レベル96問題というのを説明すると、このゲームはステータスを上昇させる為の要素が複数ある。
ドラクエみたいに、レベルだけ上げれば強くっていくようなシンプルなゲームではないんだ。

問題となっているのは、レベル以外のステータスアップ要素である「ギルド貢献度」という制度だ。
「納品」と言って、アイテムを提出するとそれにおうじてギルド貢献度という形を変えた経験値が貰えて、それを使うことでステータスをアップ出来る。

それが、レベル96を閾値として制限が掛かるそうなんだ。

レベル95までは自由に「ギルド貢献度」を稼いてステータスアップしていけるけど、レベル96になると足枷がついてステータスアップ出来なくなってしまう

そこで、やり込みプレイヤーはレベル95になると、意図的にキャラを戦闘不能にさせることでデスペナルティにより経験値を減らす、という自殺行為を行っているそうだ。

この自殺は1回では経験値が減り切らないから、パソコンでマクロを組み上げて、一晩中キャラを自殺させ続けることで、翌朝には経験値を空に戻す。これが通称、自殺マクロである。
多くのプレイヤーはこの不毛な作業に怨嗟の声を上げつつも、毎日自殺マクロを起動させ続けているという。

これを聞いた時、僕はロシアの文豪ドストエフスキーを思い出した。

ドエトエフスキーは、長編小説『死の家の記録』の中で、究極の拷問についてこのように記述している。

シベリアに流刑された男は、半日かけて穴を掘り、半日かけてその穴を埋めるという強制労働をひたすらやらされた。
朝、自分で掘った穴を、午後、自分で埋めている。
そんなふうになったら、誰だって生きる意味が見出せなくなる。
何の意味もない単純作業を延々とやらされると、やがて人は精神に異常をきたし発狂する。

ラグマスで昼に稼いだ経験値を夜に自殺ボットで捨てる。
これは、昼に自分で堀った穴を夜に自分で埋めるのと同じだ。

このような報われない労働という概念は、古来より日本にも存在している。
三途の川だ。

幼くして死んだ子供は三途の川のほとりで石を積む作業を命ぜられる。
石を積み上げれば成仏出来るのだが、石が積みあがる前に鬼がやってきて崩してしまうので、結局は永遠に無意味な石積みを繰り返すことになる。

ラグマスのレベル96問題もまた同じだ。

報われない労働という刑罰をプレイヤー自らが自分自身に課すシステム
それがレベル96問題である。

しかしながら、これを馬鹿馬鹿しいと言えるだろうか?
いや、誰にもそのようなことは言えまい。

思えば、世の中の人民、世の中の労働者はみんな、必ずどこかで意味の無い作業、報われない労働に従事した経験があるだろう。
会社的な都合、社会的な都合、上下関係や周囲の空気、あるいは自分自身の無気力。そういうものの為に、無意味と理解しつつ嫌々ながらも目の前の労働に従事する。

これが多くの人間が陥りがちな人生の罠であり、また人間はそこから脱却する為に自らの意思を持って行動しなければならぬ。
自らの意思を持たぬ者、あるいはリスクを恐れ行動せぬ者、こういった者が得るのは安定ではなく、停滞なのである。

レベル95で停滞し続けるプレイヤー達。
ストレスを溜めながら自殺マクロを起動するプレイヤー達。
そうしてギルド貢献度を稼いだ先に待っているのは、本人の心の折れて引退か、サービスの終了である。

正に一般労働者の生涯そのものではないか。

そう考えると、MMORPGというのは、人間の一生を縮図化して短期間に体験させてくれる味わい深いものなのかもしれない。

僕はまだレベル88だから、レベル96問題にぶつかるほど成長するのは先である。

若い頃は勉強すればするほど急成長するが、歳を経て経験を積んだ者はどこかで成長の壁に行き詰まることの表れであろうか。

人間とは何か、人生とは何か、成長とは何か、それをよくよく考えてラグマスをプレイしていきたいと思う。(´・ω・`)

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