まあ、最近忙しかったし、何もせずにゴロゴロし続けることで何だか気力が回復しつつあるのを感じる。
この辺りは独身には分からぬ感覚や。(´・ω・`)
時間があるからネットサーフィンしてたらヤフーで良い記事を見つけた。
将棋の羽生善治のインタビューだな。
「人間が持っている能力を使い切るには、人生は短い」羽生善治はなぜ勝負を続けるのか
人生を振り返るにはちょうど良い。(´・ω・`)
人間が持っている能力を使い切るには、人生は短い
流石は羽生善治。限界の無い人生観を持っているな。(´・ω・`)しかし、共感するところが非常に多いんだよな。
将棋界の羽生善治に対し、IT界のウズマスターとまでは流石に言わんが、感覚的に類似したものを感じるのよね。
安らぎ
羽生は、将棋と共に歩む日々を「安らぎ」と表現する。
正にこれなんだけど、僕は業務中に「安らぎ」を感じている。
仕事の中には安らぎも何もあったもんじゃないゴミみたいな仕事もあるんだけど、少なくとも「要件定義」「設計」「製造」の工程では安らぎを感じている。
まあ、僕はとても安らげないような場所でも戦えるという汚さに真骨頂があるんだけど、それはそれ。これはこれ。
仕事ってのは永遠に続くものだから、「安らぎ」が土台でなければ無理だと思うんだよね。
毎日毎日イライラして安らぎが土台に無い状況だとパフォーマンスが出ない。ってことはいずれ社会から淘汰されると思うんだよね。
パフォーマンスが出ない人間が世の中から保護されるはずが無くって、一時的な我慢は戦術かもしれないが、長期的な我慢はジリ貧しか無い。
増援の無い籠城戦みたいなものだから、そんなことやっていてはいずれ死ぬ。
だったら、多少リスキーでも出撃しなければイカンぞ。
「安定」と「ジリ貧」は全然違うから、そこを誤魔化してはイカン。
安らぎを求めてるからこそ、人は戦わねばイカンのだ。(´・ω・`)
深刻に考え過ぎるのは良くない
駄目なときとか集中できないときとか、そういうことがあるのはしようがないっていうふうに割り切らないと、持続するのは難しい。あんまり真面目に、深刻に考え過ぎるのは良くないと思っています
これもそうだなぁ。
三國志風に言うと「勝敗は兵家の常」かな。
悪いことは深く考えない。
僕って時々、人から「考え方が軽い」とか言われるんだけど、まあ確かにそうだと思うけど、僕はむしろそれが長所だと思っているんだよね。(´・ω・`)
「ミスをしたくないとか、完璧でありたいと思うこともあるんですけど、ちょっと遊びや揺らぎの部分があるほうが、より自分なりに納得できることが経験則として分かっているので」
多少、心にバッファみたいなものはあった方が良いと思うのよね。
底が抜けたようなタワケってわけでも無いわけだし。
これは程度の問題なんだけど、恐らく、普通の人は「成功:失敗」の比率を「9:1」くらいに考えている。
10回に1回くらいの失敗が許容範囲だ、くらいの感覚。
対して、僕は「7:3」だと思う。
普通の人の3倍、ミスを許容出来る。
これは長所だと思うんだよな。(´・ω・`)
「9:1」の感性を持っている普通の人は、確かにその場ではミスを犯していないかもしれないけど、結局は行動出来なくて閉塞感で未来が閉ざされているもん。
上記の籠城戦と通ずるんだけど、「9:1」の凡人は、社内で損しない事に関して注力してばかりで、人生全体ではジリ貧なんだよね、
「安定」と「ジリ貧」は全然違うと思うんだよね。(´・ω・`)
多少リスキーでも出撃した方が、結局は身の安泰を計れると思う。
僕は「7:3」だけど、「7:3」でもまだまだ甘いかもしれない。
人によっては「1:9」くらいのチャレンジャーもいるけど、やり過ぎは身の破滅だし、その辺りの嗅覚は磨いていかねばならんところだろう。
しかし、凡人共の「9:1」の感性は絶対違うと思う。
行動しないことは安泰ではない。
10年後に潰れる会社のサラリーマン、あるいは20年後にリストラされるサラリーマンは安定なのか?
フリーランスは不安定、サラリーマンは安定とか、そんな一言で簡単に整理する話ではなくって、内実ってものを見なければイカンぞ。
これは当たり前だ。
感情の起伏
「特に対局しているとき、喜怒哀楽は必ず起こる。起こることはしようがないので、うまく対処できるかどうかだと思います。どんなに慣れても、ミスしてしまったとか失敗してしまったと思ったときは、やっぱりつらいというか、ぞっとするものがありますね」
この一言にも意味があると思うんだよね。
誰にでも感情の起伏ってのはあるものなんだよね。
そりゃあ、上手くいかなくてイラつくこともあるだろう。
それを上手く対処するのが肝要なのであって、そもそも感情の起伏が起こらないようにするって話じゃないんだ。
ところが、凡人どもはどうも後者、そもそも感情の起伏が起きそうな案件を避ける傾向にある。
感情の起伏を避けるには何もしないことが一番だから、ややこしいことには関わらない、首を突っ込まない、知らんぷり、これを徹底する。
知らんぷり主義。無関心主義。
知らんぷり主義。無関心主義。
ただ、知らんぷり徹底ってのは特にリスクも無く、「沈黙は金なり」の言葉どおり手堅い戦術であり、その人の生き方と言えば生き方と言えるはずなんだけど、果たして本当にそれを永遠に徹底できるのか。。。
それが今日思い出して気になったことなんだけどね。
メダパニ社員
いやぁ、実はね、先日飲み会やったんだけど、閉塞感で頭おかしくなっている人がいて気になっていたのよ。もちろん飲み会で2~3時間ばかり話を聞いただけでその人の全てを分かったつもりになるのはおこがましいんだけど、やっぱり何かおかしかった。
素直に『ありがとうございます』と言えるときは、結構いい状態。『言われなくても頑張ってるよ』と思うときは、あんまり良くないんです
話をしていて、「この人、ちょっと気狂ってるな?」って感じる時があるんだわ。
原因を考えても、どう考えても閉塞感としか思えなくって、「この人、10年前から全然進歩してないな」みたいに思っちゃった。
いや、僕は腹の中で他人を馬鹿にするような性格じゃないと思うんだけどね、それでもちょっとヤバイと感じることはあるのよ。
傍から見て凄く閉塞していた。
やっぱり人間ね、完全なる安定ってのは無理なんじゃないかな?
「自分はこれで良い。このままで良い」って主張なんだけど、昔は良い人だったのに今は気狂ってる。
思うに、飲み会の場で、「あの人は子供が生まれた」「僕は会社を興した」みたいな未来志向の話を聞くのが苦痛なんだと思う。
本人は「自分はこれで良いんです」って言うんだけど、真実としてはそこまで気持ちを割り切れていない。
老い先短い老人でもない若手や働き盛りの年齢の者が、嫉妬も未練も願望も知らんぷりを決め込んで悟りを開いた人生を送るなんて、実質無理だよ、やっぱり。
理論上は可能なんだけど、目の前のその人がそれを実現しているようには到底思えない。
人生ってのは、変動の中で上手くやっていくものだと思うのよ。
ところが、「安定」と「停滞」を取り違えちゃって頭おかしくなった。
あの様子では、50歳くらいになってもスキルは30代と変わらず、会社が潰れたら転職先に苦労し、リストラ対象になるリスクもあるだろう。
いや、何も会社を起業しろとか、人生はチャレンジだ、とか、そういう茨の道を推そうってわけじゃないんだよ。
もっともっと、凄い低レベルでシンプルな話。
「閉塞感で頭がおかしくなり、スキルが停滞し、50過ぎでクビになることが安定ですか?」
という当たり前の話だ。
もちろん、50歳くらいでクビになると確定したわけではない。
「そういう可能性もあるかも?」くらいだ。だから行動を起こせない。
でも兆候は見えている。
明らかに問題が表面化してから動くのではなく、兆候の段階で解決策を打つのが大事。
これが最近、僕が勉強して分かったこと。
「サラリーマンだからひとまず安泰だ」
じゃないんだよ。
同じサラリーマンでも、安泰のサラリーマンと、安泰ではないサラリーマンがいるんだ。
そんなの当たり前なんだけど、やっぱりサラリーマンという種族は「サラリーマンだから安泰」と思いたがる。
同じサラリーマンじゃないんだよ。内実はみんな違う。
「ウズはチャレンジャーな性格だからw」
じゃないんだよ。
僕は危機があることを踏まえて警戒している。
貴方は「サラリーマンだから」という理由だけで、将来に危機が控えていることを見ようとしない。
僕はそれを凄く心配している。
まあ、飲み会でそんな説教を言ったら雰囲気が悪くなるから言えなかったけど、何かのタイミングでそれとなく伝えてあげられないだろうか、と常々悩んでいる。
「安定」と「ジリ貧」は違う。
こんなの当たり前だから。
「才能が枯渇することはないと思います。人間が持っている能力を使い切るには、人生は短いと思っているので」
羽生善治の言葉を言葉を聞いて、チャレンジはせずとも良いが、明らかなジリ貧は解決するべき。
明日の50%のリスクを嫌がる余り、将来の100%のリスクに目を瞑るってのは身の破滅だ。
長い人生を生き抜くのは難しいものじゃ。(´・ω・`)
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