• 2019年7月10日水曜日
ウズマスターの日々
ウズマスターの日々 https://blog.uzumax.org/2019/07/1000.html

新卒1000万円

NECが新卒で年収1000万円を払う制度を始めたそうだが、いやぁ、無理があるだろ。
何故かって言うと、それを払う人に妥当な力量が無いから。(´・ω・`)

NEC 新卒で年収1000万円超も AIなどの人材獲得競争で
AI=人工知能などの先端分野で、海外のIT企業も含めて人材の獲得競争が激しくなっていることから、NECは研究職の社員は新卒であっても、場合によって年収が1000万円を超える新たな制度の導入を決めました。

何すんのよ?

これが宦官なんだよな。

例えばさ、


(`・ω・´)「我々は今からこういうことをやるぞ!!」
(`・ω・´)「その為には優秀な人材が必要だ!!」
(`・ω・´)「よし。新卒に1000万払ってみるか!!」
(`・ω・´)「1000万やるから俺の手足となれ!!」
(`・ω・´)「俺が大将軍だ。NECという大軍は俺が率いる。優秀な人材で世界を制する。うぉぉぉぉぉ!!」


って言うのであれば妥当だと思うけど、実際はそうじゃないよね。


(´・ω・`)「よく分からないけど、1000万円も払えば優秀な人が来てくれるのではないだろうか?」


ってだけでしょ?
そうとしか思えん。

NECが新卒で年収1000万円を払うと決めたのかもしれんが、その決めた人には年収1000万円の優秀な新人の上に立つ妥当性が無いのよ。

何を以て「お前の価値は1000万だ」なんておこがましい発言が出来るのか。


  • 技術力:無し
  • マネージメント力:無し
  • 経営力:無し
  • 実績:無し
  • ビジョン:無し
  • でも上司ではある


っていうタイプの人が発令しているに決まってるんだわ。
「上司である」という以外に妥当性が無いのに、優秀な若者の報酬を決めようなどとは無礼千万!!

ただ、どうも人はそういう甘い幻想に流れていってしまうようで、要するに「管理職という立場に立てれば自分は部下を使用する権利が得られる」とで思っちゃうんだよな。

「部下は上司の命令に従うべきものだ」という論調にすがっちゃうんだけど、実際のところ、上司たる妥当性が無ければ部下は従わない。
ところが、そういう厳しい現実があることを直視できなくて、

  • 技術力:無し
  • マネージメント力:無し
  • 経営力:無し
  • 実績:無し
  • ビジョン:無し
  • でも自分は管理職だからお前らは命令に従え!!

っと思いたがるんだけど、そりゃ無理ってもんだぜ。


管理職ではあるのかもしれないが、指導者ではない。


「管理職という立場になって、他人を使用する権利を得て安定を計りたい」とは思っているんだけど、「部下を未来に向かわせよう」という意識はゼロ。


使用は出来るが指導は出来ない。


そういう人がどういう思考回路になるかと言うと、「優秀な人には残って欲しいけど、役に立たない人はクビにしたい」って思うばかりで「どうすれば優秀な部下が自分に従ってくれるのだろうか?」という自問自答が欠如する。

そういう人の周囲はどうなるかと言うと、要するに利用合戦だな。

「金が出るうちは協力しても良いが、出ないなら去る」
「報告くらいはするが、仕事のやり方は自分で決めさせて貰う」

って感じに、「上司と部下」という書類上の関係は成立するとしても、「師匠と弟子」「指導者と教え子」という関係は成り立たなくて、


(´・ω・`)「いや、あの人はハンコを貰う為の道具ですよ」
(´・ω・`)「ハンコさえ貰えれば仕事は自分の判断でやります」
(´・ω・`)「用が無くなれば用が無くなるだけです」
(´・ω・`)「まあ、上司として顔を立ててあげるくらいはしますけどね」


みたいな扱いになる。
社内の体裁を整える為の道具でしか無い。

こういうのが日本企業の弊害で、NECは特に目に余る酷さ。
にも拘わらず、


(`・ω・´)「優秀な新人には1000万を授けよう」


と、書類上の存在でしかない虚飾者が未来ある優秀な学生を評価しようとはおこがましいにも程があるわ。

僕もまだまだ社会で働いていく上では、「何を以て自分は価値があるのか?」という虚飾ではなく実態の部分から逃避しないよう気を付けていかねばならんな。(´・ω・`)

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